アトリエにて主を待つものたち

絵描きの祖父が亡くなって今日で四年目。
祖父はなんでも出来るマルチな芸術家だった。
なんでも独学。

ピアノも独学。
小学校の先生をしていた頃(10代か?)、オルガンに蝋燭を灯し練習したらしい。
大のお気に入りは乙女の祈り。
酔っぱらうとじゃかじゃか弾く。とても上手だけど、乙女は多分祈ってはいない。
じゃじゃ馬娘の乙女が祈りを放棄して大笑いしている感じである。

私が小学三年生の頃、秋田から横浜の我が家に遊びに来た祖父。
二人きりになった時に、祖父が突然乙女の祈りを弾きだした。
ピアノは得意でその場で聞いた曲を弾くのは好きだったが、練習曲が嫌でしょうがなかった頃。
もっと練習すればこんな風になれるのか!!と思い、練習曲も好きになった。

全ての原点となった写真

私が秋田の祖父の家でピアノを弾いていると、アトリエから降りてきて一階で勉強をしたり
水彩画を描いたりする祖父。
こっそり録音しようとして、何度も阻止した。
あっかんべえーなんてするもんだから、追っかけまわして、大笑いして。
でも、こっそりとった私の爆笑入り音源を聴きながらアトリエで作業していたというから驚きである。
ピアノの部屋のカーテンと、窓から見える祖父の作った庭が好きだった。

全ての原点となった写真

祖父は人物以外は何でも描いた。
曼荼羅まで描いてしまった。
家のふすまは鶴と桜が描かれている。
鶴は100羽いるんだ、数えてみれとふすまを見るたびに言っていた。

そんなわけで様々な画材を使いこなしていた祖父だが、
やはり一番好きだったのは油絵だ。
毎年ゴールデンウィークには祖父の育った五城目で油絵展を開いていた。
秋田の自然をこよなく愛した。
特に奥入瀬が好きで(青森県になってしまうだろうか)、四季を問わず奥入瀬の絵を描き続けた。
他には森山や男鹿の海、白樺などを描いていた。

全ての原点となった写真

そんな祖父が体を壊し入院し、目標の1000枚に限りなく近づいて死んだ。
楽しかった思い出の他に今でもよく思い出すのが、祖父のお見舞いに秋田に帰った日のこと。
私は眠れず、祖父のアトリエでずっと横になっていた。
筆や絵具、キャンバスたちと主の帰りを待っていた。
からっぽのアトリエ。
祖父のそばで祖父が描きあげていく様をみていたその部屋でずっとずっと待っていた。

全ての原点となった写真

眠れずに朝を迎え、朝日に染まる筆や絵を無表情で眺めていた。

全ての原点となった写真

今では悲しくはない。
祖父の血は薄まってはいるが確かに私の中にも流れている。
私の撮る抽象的な写真には最後まで理解を示さなかった祖父だが、絵もピアノも褒めてくれた。
今でも絵は描くし、指が動くときはピアノもヴァイオリンも弾く。
病気がどんどん悪化して、今では自立歩行も難しいが、
病気で色んなところに行けない分私もすべて独学を貫いている。

そんな祖父から贈り物があった。

主人のいないアトリエからの贈り物。
祖父の画材の一部だった。
母と叔父が選んでくれて送ってくれたのだ。

正月早々入院し、まだ起き上がっているのがつらいため筆を握ることはできないが、
手に力が入るようになったら、一心不乱に描くつもりだ。
病気がどんどん悪化し、気持ちもどんどん憂鬱になってきているが、
筆を握る日が来るのを信じて、カメラを持って歩き回れる日がくると信じて、
祖父のように己の世界を表現し続けてきたい。

全ての原点となった写真

RICOH GX200
手持ち
秋田県
撮影 2010.07.18

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